10月31日、「狭山事件の再審を求める市民集会」が東京で開かれ、私は基調提案を行いました。
1974年10月31日の狭山事件第二審東京高裁判決で寺尾裁判長による無期懲役判決が言い渡されて34年目の集会となりました。
石川一雄さんは、1963年に埼玉県狭山市で起きた殺人事件の容疑者として逮捕され、警察による不当な取り調べでウソの自白をさせられ、第1審で死刑判決、第2審の寺尾判決により無期懲役とされましたが、その背景には部落差別が横たわっていました。
石川さんと同様に予断や偏見、差別などをもとに容疑者とされ、取り調べで自白を強要させられるということが今日でも行われ、志布志事件(鹿児島)や氷見事件(富山)となって表面化しています。いったいこの背景には何があるのでしょうか。
集会では、冤罪(えんざい)被害者らが自らの体験を話し合い、冤罪の生まれる構図について考えるシンポジウムも行われました。
無実の罪、冤罪を防止するには、それらを生み出す背景を分析し、そのしくみを改めていかねばなりません。様々な冤罪に苦しむ人々と連帯し、課題を共有しながら世論を喚起し、司法のあり方を変える(司法の民主化)流れをつくっていく必要があります。
石川さんは先日、スイス・ジュネーブの国連規約人権委員会の意見交換会に自ら赴き、証拠開示の必要性と無実の罪を晴らしたいという思いを訴えました。同委員会の日本政府への勧告では、代用監獄制度や拘留中の取り調べ方法など被疑者の権利侵害が指摘され、また、来年からは市民による裁判員制度がスタートするにも拘わらず、証拠開示など、日本政府は根本的な改革をなしえていません。
狭山事件の再審は司法の民主化と連動したものであり、ともに市民が勝ち取っていかねばならないものだと考えています。事件発生から45年もの歳月がたっていますが、何としても切り開いていかねばならない道です。